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800万円分以上の知識をコンテンツ化するにあたって。モリケンの理念『ビジネスはお悩み解決と価値提供』

初めまして、モリケンジです。

モリケンという名前でsnsを投稿しています。

「お前誰だよ」と。なると思うので。
まずは自己紹介をさせてください。

今、僕は本業を持ちながら、
Xで集客して稼ぐ系の副業で収益を上げています。

日々、YouTubeやBrainで稼ぐための
お悩みコンテンツや価値提供コンテンツの
無形商材をガンガン作っているんですよ。

これまでに約800万円以上を自己投資してきました。

正直、情報商材を買い漁ってきた一人なんですが、
2024年4月に月収470万円の方からコンサルを受けて、
たった10日で収益化に成功しました。

これが僕のターニングポイントでしたね。

この経験を通して、
0→1突破ができていない初心者の方々を
サポートしたいという思いで、
今は活動をしています。

「なんで800万円も自己投資したの?」

って思うかもしれませんが、
僕にとっては、
それが知識に投資する価値があったからです。

人生を振り返ってみて、僕が気づいたのは

「知識を持っている者が稼ぎ、すべてを手に入れる」

って気づいたんです。

知識って、本当に力になる

これはもう、自分の体験から確信してます。

「知識は力なり」って言葉、
聞いたことありますよね?

僕にとって、この言葉はただのフレーズじゃなくて、
リアルにそうだと思っています。

情報ビジネスに身を投じてみて、
その真実を骨身に染みて感じたんです。

それはシンプルに、

「より良い人生を送りたい」

と願っているからです。

誰だって、
経済的に安定したい、
自分のスキルを活かしたい、
世の中に貢献したいっていう
思いがあると思うんですよ。

それって、結局は
「もっと良い人生を送りたい」
という願いに繋がるんです。

情報商材は、
そんな願いを叶えるための強力なツールなんです。

場所や時間に縛られず、自分のペースで働ける。

しかも、初期費用が少なくて済む。
こんな魅力的なビジネスモデルって、
他にはなかなかないんじゃないですかね?

最近、情報商材の世界は急速に発展してきていますよね。

インターネットが普及して、
誰でも簡単に情報発信できるようになったことで、
この市場は急成長しているんです。

でも、その一方で「情報過多」の時代とも言われています。

たくさんの情報が溢れている中で、
本当に価値のある情報を見つけるのって、
実は簡単じゃないんです。

だからこそ、
質の高いコンテンツを提供できるかどうかが、
成功の鍵を握っているんです。

僕自身、約20年この業界にいますが、
その経験を活かして、
商材の目利きができるようになりましたし、
何が本当に価値あるものなのかを
見極める力もついてきました。

情報ビジネスで成功するためには、
いくつか重要な要素があります。

まず1つ目は、
質の高いコンテンツを作ること。

読者の悩みや課題を解決できる
有益な情報を提供することが大切です。

そして、その情報をわかりやすく、
飽きさせない文章で伝えること。

継続的に更新して、
常に新鮮な情報を提供し続けることも大事ですね。

2つ目は、
集客。

ブログ、YouTube、SNSなど、
様々なプラットフォームを活用して、
自分のコンテンツを
多くの人に知ってもらう必要があります。

SEO対策を行って、
検索エンジンから自然に集客するのも重要ですし、
有料広告を使ってターゲット層に
ピンポイントでアプローチするのも効果的です。

3つ目は、
教育です。

情報ビジネスは

「知識のゲーム」です。

知っていることが
勝利に繋がるって言っても過言ではありません。

でも、知識があっても行動しなければ意味がない。

だから、言われたことを全力で実行して、
目の前のことに集中するのが大事なんです。

そして、成長のためには投資を恐れてはいけません。

信頼できるメンターに投資し、
高額な教材も購入すること。

お金は知識や経験に変えるための投資です。

自分自身を最高のブランドにするために
お金を使うということ。

例えば、マーケを学ぶ自己投資。

一生稼ぎ続けられるスキルが身に付く

マーケができる自分というブランド

困っている人や事業者から依頼

収益に困らない

4つ目は、
販売。

商品やサービスの価値を明確に伝えて、
顧客の購買意欲を高める。

顧客との信頼関係を築いて、
リピート顧客を増やす。

顧客の声に耳を傾けて、
商品やサービスを改善していく。

これが、情報ビジネスで成功するためのキモです。

僕が情報商材の世界に足を踏み入れたのは、
2005年のことです。

当時、パチンコで
一攫千金を夢見ていた若き日の僕は、
情報商材にすがるようにして、
成功への近道を探していました。

高額な情報商材を次々と購入して、
時には期待が裏切られることもありました。

でも、諦めずに学び続けて、
試行錯誤を繰り返すことで、
少しずつ成果を出すことができるようになったんです。

振り返ってみると、
情報商材から得た知識は、
僕の人生を大きく変えたと言っても過言ではありません。

特に、
ビジネスの基礎基本、
コピーライティング、
マーケティング、
セールス
そして心理学の知識は、

ビジネスを成功させる上で欠かせないものでした。

====モリケンの過去の物語====

さて、ここからはちょっと僕の過去の話をさせてください。
今でこそ、こうやって情報ビジネスで成果を出していますが、
昔は本当に酷い状態でした。

ガリガリに痩せ細り、バツ2で借金まみれ。

仕事ではパワハラに耐えながら、精神的にもズタボロでした。

22年間勤めていた会社から解雇を言い渡されたとき、
頭が真っ白になりました。

不安に押しつぶされそうな日々を過ごしていたんです。

どうしてこんな酷い目に遭ったのか?

その原因は、父親がクモ膜下出血で亡くなったときから始まったんです。

僕の母親は、父が亡くなった後、
29歳で3人の子供を一人で育てることになりました。

当時、僕は1歳だったので、父親の顔も覚えていません。

母親は写植(文字打ち込み作業)の仕事をしていましたが、
給料は世間一般の半分程度しかありませんでした。

ご飯を炊く量も1.5合(お茶碗4杯弱)と決まっていて、
家族4人で分け合う生活でした。

小学校4年生の時、
日記に食べ物のことばかり書いていたら、
先生に「なんでそんなことばかり書くの?」と聞かれて、
子供ながらに傷つきました。

お小遣いは月100円、外食は母親の給料日に一回、
おもちゃはクリスマスのみ。制限だらけの生活でした。

中学生になってからは、野球部に入ったんですが、
練習中にボールが眼球に当たって失明の危機に陥りました。
奇跡的に視力が回復したのは幸いでした。

その後すぐに新聞配達を始めました。

最初に稼いだ5万円は、
炊きたてのご飯を死ぬほど食べるために使いました。

残りは塾代にあてて、
偏差値の高い高校に入るために勉強しました。

当時は、学歴社会で

「偏差値の高い学校に行けば、良い会社に勤めて良い給料がもらえる」

と信じていました。

食べ物に不安を感じる生活をしたくなかったんです。

だから、

「働かない=餓死」

だと思い込んでいました。

とにかく、勉学と新聞配達の毎日でした。

友達なんてゼロ。

高校に入るための入学金もなく、
読売新聞の高校奨学生で学費免除を受けましたが、
在学中に新聞配達を辞めると
奨学金を全額返却しなければならないため、

毎朝の目覚めは拷問のようだった。

3年間、毎日が生き地獄。

起きる度に体が悲鳴を上げ、
精神は崩壊寸前。

希望のない闇の中で、
ただ呼吸を続けるだけの日々が延々と続いたんです。

高校卒業の日、私は希望に胸を膨らませていた。

工場勤務と夜学の大学。

厳しい道のりになることは分かっていたが、
未来への投資だと信じていた。

工場での仕事は想像以上に過酷だった。

機械の轟音、油の匂い、終わりのない単調な作業。

体は疲れ果て、心は折れそうになる日々。

それでも、夜になると大学へ向かう。

講義室に入る瞬間、昼間の疲れがどっと出て
居眠りすることも多かった。

4年間は瞬く間に過ぎた。
卒業証書を手にした時、涙が溢れた。

やり遂げた達成感と、
これからの人生への期待が入り混じっていた。

そして運命の出会い。
彼女は私の全てだった。

結婚式の日、幸せで胸がはち切れそうだった。

しかし、現実は甘くなかった。

共働きの生活。仕事に追われ、
お互いの顔を見る時間さえ減っていった。

会話が減り、愛情が冷めていく。

気づいた時には、もう遅かった。

離婚。

その言葉を口にした時、
心の中で何かが砕け散る音がした。

傷心の日々。

それでも、前を向くしかなかった。

そんな時、10歳年下の彼女と出会った。

優しさに触れ、再び幸せを感じられるようになった。

そして、予期せぬ妊娠。

不安と喜びが入り混じる中、私たちは結婚を決意した。

赤ちゃんの誕生。

小さな命を腕に抱いた時、
この幸せは永遠に続くと信じた。

しかし、現実は残酷だった。

彼女の浮気。
信頼の崩壊。

怒りと悲しみが押し寄せる中、
再び離婚を決意せざるを得なかった。

最も辛かったのは、愛する子供たちと離れ離れになることだった。

小さな手を握り締めながら、
「また会おうね」と言った時の彼らの表情。

それは今でも胸に刺さっている。

人生は思い通りにはいかない。

夢と現実の狭間で揺れ動きながら、
それでも前に進むしかない。

傷つき、失敗し、それでも立ち上がる。

それが人生なのだと、身をもって学んだ。

今、私は再び一人。

しかし、もう後悔はしない。

これまでの経験全てが、今の自分を作っている。

子供たちに再会できる日を夢見て、新たな一歩を踏み出す。

こんな背景があったからこそ、
僕は「強くならなきゃ生き残れない」と
心に決めたんです。

「このままじゃ終わりだ」

あの日、鏡に映る自分の顔は、
まるで知らない他人のようだった。

目の下にはクマができ、
頬はこけ、
かつての自信に満ちた表情は影も形もない。

そこにあるのは、ただの敗北者の顔だった。

家族を養えない。

借金は膨らむ一方。

仕事では部下からの信頼を失い、

上司からの叱責が日常茶飯事。

毎日が地獄のようだった。

「こんな俺に未来なんてあるのか?」

その問いが、頭の中でぐるぐると回り続けた。

でも、その問いの中に、
かすかな希望の光を見出したんだ。

「いや、このままじゃダメだ。変わらなきゃいけない」

その瞬間、僕の人生は大きく動き出した。

まず考えたのは、
「何が必要なんだろう?」ってことだった。

答えは意外と簡単だった。

知識とスキルだ。

これさえあれば、何とかなるんじゃないか。

そう思ったんだ。

でも、それを手に入れるには、
今までの生活を根本から変える必要があった。

そうして、思い切って決断したのが

「自己投資」だった。

800万円以上の自己投資。

正直、怖くなかったと言えば嘘になる。

でも、もうこれしかないと思った。

情報商材を買い漁り、
セミナーに参加し、
成功者からコンサルを受けた。

これが最後のチャンスだと思っていた。
だから、何が何でも成功しなければならなかった。

最初は本当に不安だった。

「この投資、本当に報われるのか?」って。

でも、やってみなければ分からない。

それに、これをやらなければ一生このままだ。

そう思うと、もう突き進むしかなかった。

そして、いざ始めてみると、
少しずつだが「知識が力になる」という感覚が分かってきた。

例えば、
セールス、
コピーライティング、
マーケティングのスキルを身につけると、
どんどん結果が出るようになった。

最初に作った情報商材が売れたときは、
本当に嬉しかった。

何度も失敗してきたからこそ、
その成功が自分にとってどれだけ大きな意味を持っていたか。

少しずつ成果が出てくると、
自信も戻ってきた。

「自分でもやればできるんだ」って。

それまでの自分は、
失敗続きで自信を失っていたから、
成功体験というのは本当に大事なんだと実感した。

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